シティ・オブ・ロンドン「不可視の帝国」1000年の特権とグローバル金融支配の全貌
シティ・オブ・ロンドン「不可視の帝国」1000年の特権とグローバル金融支配の全貌
シティ・オブ・ロンドン「不可視の帝国」1000年の特権とグローバル金融支配の全貌
金融専門行政書士の視点:金融規制のプロトタイプとしてのシティ
シティ・オブ・ロンドンの特権的な歴史とガバナンスを理解することは、現代の日本を含むグローバルな金融ライセンス制度の深層を探ることに他なりません。金融庁所管の銀行業ライセンス、第一種や第二種の金融商品取引法(金商法)上の登録、あるいは近年注目される海外送金ライセンスである資金移動業等の資金決済法に基づくライセンス、運用型信託や管理型信託等の信託業法に基づくライセンスの多くは、その規制哲学の根源をシティの歴史的展開に求めています。
1. 職能団体(ギルド)から「適格性(Fit and Proper)」へ
現代の金融ライセンス審査において最も重視される「誠実性」や「適格性」という概念は、シティのリヴァリ・カンパニー(同職組合)が数世紀にわたり維持してきた、会員に対する厳格な倫理規定と相互監視の仕組みがモデルとなっています 1。1986年の「ビッグバン」を経て導入された「適格性(Fit and Proper)」の基準は、かつての「対面での信頼(My Word is My Bond)」という不文律を成文化したものであり、それが現在の日本の金商法における登録審査基準や、銀行業免許の「欠格事由」の判定にも色濃く反映されています 。
2. 「原則主義(Principles-based)」と「規制サンドボックス」の輸出
シティが育んだ最大の規制イノベーションは、詳細な規則で縛るのではなく、高い次元の「原則」を遵守させる「原則主義(Principles-based regulation)」です 。
規制の柔軟性: 英国FCAが世界に先駆けて導入した「規制サンドボックス」は、かつてユーロダラー市場を「暗黙の了解(ウィンクと頷き)」で容認したシティのプラグマティズム(実用主義)の現代版と言えます 。
グローバル標準化: このサンドボックス制度や、経営陣の責任を明確化する「上級管理者・認証制度(SMCR)」は、シンガポールやドバイ、そして日本へと波及し、各国のライセンス制度の設計思想を書き換えました 。
3. オフショア・ロジックとデジタル資産
資金決済法における暗号資産や電子決済手段の規制議論も、シティが構築した「ユーロダラー」や「オフショア・ネットワーク」の論理―すなわち、国境を超えた資本移動をいかに捕捉し、かつイノベーションを阻害しないかという課題―の延長線上にあります 。現在、シティが進める「デジタル証券サンドボックス(DSS)」での実験は、次世代の金融ライセンスが「法域」ではなく「プロトコル」に基づいたものになる可能性を示唆しています 。
このように、シティ・オブ・ロンドンは単なる一都市の金融街ではなく、世界中の金融規制当局が参照する「規制のOS(オペレーティングシステム)」の開発拠点であり続けています。本書で詳述されるシティの特権と歴史は、我々が直面する現代の金融法務の成り立ちを理解するための、不可欠なミッシングリンクなのです。
序章
グローバル資本主義の心臓部として鼓動を続けるロンドンにおいて、その中心に位置する「シティ・オブ・ロンドン(City of London、以下『シティ』)」は、我々が一般的に認識する近代都市とは根本的に異なる存在です。
面積わずか1.12平方マイル(約2.9平方キロメートル)、通称「スクエア・マイル」と呼ばれるこの地域は、英国の首都機能を有するグレーター・ロンドン(Greater London)の地理的中心にありながら、行政的・法的には中世以来の独立性を維持する一種の「租界」あるいは「都市国家」の様相を呈しています。
また、シティは単なる金融街ではなく、英国議会(ウェストミンスター)の権威が及ばない特権的な法的・政治的領域として存在し、その統治機構は現代の「国家の中の国家」として機能しています。シティを統治する「コーポレーション・オブ・ロンドン(City of London Corporation)」は、世界で最も古く、かつ最も複雑な地方自治体の一つであり、その法的性質は英国の不文憲法における最大の特異点として数世紀にわたり注目されてきました。
第1章 古代の起源と法的特権の確立
シティがなぜ英国王室(クラウン)の直接統治すら及ばない特権的地位を確立し得たのか、その答えは歴史的事実に求められますが、シティは「英国王によって作られた都市」ではなく、「英国王が誕生する以前から存在した勢力」なのです。
シティの境界線は、紀元43年のローマ侵攻後に建設された「ロンディニウム(Londinium)」の城壁(ロンドン・ウォール)とほぼ一致しており、ローマ撤退後、一時衰退した都市機能はアングロ・サクソン時代に交易拠点として復活しました。
重要な点は、1066年のノルマン・コンクエスト(ノルマン人による征服)以前の段階で、ロンドン市民がすでに高度な自治組織を有していたことです。
エドワード懺悔王(在位1042-1066)の時代には、すでに「ハスティング(Husting)」と呼ばれる市民集会兼裁判所が機能しており、行政・司法の決定が行われていました。
また、都市は「ワード(Wards)」と呼ばれる区画に分けられ、「アルダーマン(Aldermen、長老)」によって統治されていましたが、これらは王権から授与されたものではなく、市民社会の中から自然発生的、あるいは慣習的に形成された統治機構でした。
ハスティング裁判所は1032年には存在していた証拠があり、土地や相続に関する紛争を解決する場として機能していました。
1066年は英国史における絶対的な断絶の年とされますが、シティだけは例外でした。
ウィリアム1 世(征服王)はヘイスティングズの戦いで勝利しイングランドを制圧した後、ロンドンへ進軍しましたが、ロンドン橋において市民軍の激しい抵抗に遭いました。
堅固な城壁に守られ、独自の軍事力と経済力を持つロンドンを武力で屈服させることはリスクが高いと判断した彼は、ロンドン市民と「取引」を行いました。
これが1067年に発布された「ウィリアム1世の憲章(William I's Charter)」です。
この憲章は、当時の公式文書言語であるラテン語ではなく、ロンドン市民が理解できるアングロ・サクソン語(古英語)で書かれたわずかな行数の文書であり、羊皮紙に記されています。
その内容は、「ウィリアム王は、ウィリアム司教とゴスフリス執政長官(ポートリーブ)、およびロンドンのすべての市民(Burgesses)に、フランス人もイギリス人も含めて友好的に挨拶を送る。
私は、エドワード王の時代にあなた方が有していたすべての法(worthy of all the laws)を、あなた方が引き続き享受することを認める。
また、父親の死後、すべての子が父の相続人となることを認める。私は、いかなる者があなた方に不当を働くことも許さない。神のご加護を」というものでした。この文書の歴史的意義は極めて大きく、ウィリアムはロンドンに新たな権利を与えたのではなく、「既存の権利を承認」したのです。
特に「law-worthy(法に適格な)」という概念は、当時の農奴や隷属民が領主の恣意的な支配下にあった封建社会において革命的であり、市民が「法的主体」として扱われる特権を有していたことを意味します。
また、「子が父の相続人となる」という規定は、封建的な「死後譲渡税(heriot)」や領主による財産没収から資産を守る防壁となり、後の資本蓄積の基盤を形成しました。
これにより、シティは「征服された領土」ではなく、「王権と契約を結んだ対等な特権地域」としての地位を法的に確立し、現在に至るまでシティが主張する「時効(time immemorial)」―すなわち、記録が存在する以前から続く権利―の根拠となっています。
王権とシティの関係が決定的となったのは、1215年のマグナ・カルタ(大憲章)制定時です。ジョン王の専制に対し反乱を起こした貴族たちにロンドン市が資金と拠点を提供した見返りとして、マグナ・カルタにはシティの権利を不可侵とする条項が盛り込まれました。
第13条(現行第9条)では、「ロンドン市は、陸路たると水路たるとを問わず、そのすべての古来の自由(ancient liberties)および自由なる慣習を保持するものとする」と規定され、シティの特権が王の恣意によって剥奪できないものであることが法的に確定しました。
また、第41条では商人の移動と取引の自由が保証され、自由貿易都市としての経済的繁栄の法的基礎となりました。
法学上、コーポレーション・オブ・ロンドンは、いかなる制定法によっても設立されていない「時効による法人(Corporation by Prescription)」として分類されます。
これは、その起源が記録に残らないほど古く、長期間にわたる慣習と権利行使の実績によって法人格と権限が正当化されるという法理であり、シティが議会制定法を超越する、あるいは独立した存在であることを示唆しています。
1683年、チャールズ2世は「クオ・ワラント(何の権限によって)」令状を発し、コーポレーションの特権剥奪を試みましたが、1689年の名誉革命後の「権利の章典」および1690年にウィリアム3世およびメアリー2世の下で制定された議会法において、主権者の気まぐれやクーデターの可能性を超越したものとして、シティの特権は回復されただけでなく、将来にわたって不可侵であることが再確認されました。
これにより、シティは英国の他の地方自治体が経験した19世紀の民主的改革から免れ、中世的なギルド構造と寡頭支配の体制を温存することに成功しました。
シティ・コーポレーションは現存する数少ない1297年版マグナ・カルタの原本の一つを「聖櫃」として管理しており、チャールズ1世がシティの金庫(ギルドホール)に押し入ろうとした際、シティの役人がそれを拒絶した逸話が残るほど、この独立性は徹底されています。
第2章 特異なガバナンス構造と政治的影響力
シティの統治機構は、現代の民主主義の基準から見ると極めて特異(Sui Generis)ですが、この構造こそがシティの利益を強力に守護する要塞となっています。
ロンドンには二人の「市長」が存在し、その役割は明確に異なります。一方は「ロンドン市長(Mayor of London)」であり、グレーター・ロンドン全域の公選によって選ばれ、交通(TfL)、警察(警視庁)、住宅、都市計画などの行政執行を担います。
もう一方は「ロード・メイヤー(Lord Mayor of the City of London)」であり、シティ内のリヴァリ・カンパニー(同職組合)によって選出されるシティの首長です。
ロード・メイヤーは英国金融サービス産業の最高大使としての役割を果たし、任期1年で無報酬の名誉職ですが、その実態は英国金融サービス産業の「特命全権大使」です。
ロード・メイヤーの儀礼的権限は国王に次ぐものであり、マンション・ハウス(官邸)に居住し、年間100日近くを海外出張に費やして英国の金融ビジネスを世界に売り込みます。
シティの独立性を象徴する儀式として「パール・ソード(Pearl Sword)の儀式」があります。英国君主(国王・女王)であっても、シティに入域する際にはテンプル・バー(Temple Bar)においてロード・メイヤーの出迎えを受けなければなりません。
この際、ロード・メイヤーはエリザベス1世から下賜されたとされる真珠で装飾された剣を君主に差し出し、君主はその柄に触れてから剣を市長に返却します。
君主が剣を市長に「返却」することは、シティ内における軍事・警察権および統治権が君主ではなくロード・メイヤーにあることを再確認する行為と解釈されます。
2023年にチャールズ3世が即位後初めてシティを訪問した際も、この儀式は厳格に執り行われました。
また、毎年11月に行われる「ロード・メイヤー・ショー」は、王立裁判所の判事に対して忠誠を宣誓する儀式であると同時に、シティが王権(国家)とは別個の存在であることを可視化する政治的パフォーマンスでもあります。
シティのガバナンスの根底には、「リヴァリ・カンパニー(Livery Companies)」と呼ばれる中世以来の同職組合(ギルド)が存在します。現在110以上の組合があり、傭兵組合や金細工師組合から、近年の国際銀行家組合、IT技術者組合まで多岐にわたります。これらはシティの市民権(Freedom of the City)を管理し、ロード・メイヤーを選出する選挙集会「コモン・ホール(Common Hall)」の構成員となります。
また、シティの議決機関「コモン・カウンシル(Court of Common Council)」の選挙において最も特徴的なのが「ビジネス・ボート(Business Vote)」制度です。シティの居住人口(夜間人口)は約8,000人から9,000人に過ぎませんが、昼間人口(労働者)は50万人を超えるため、シティに拠点を置く企業(法人)に従業員数に応じた投票権が割り当てられます。
従業員数が10名未満なら1票、従業員数が増えれば票数も増える(比例配分だが上限あり)仕組みであり、これによりシティの政治的意思決定は、住民の声よりも金融機関や多国籍企業の利益が色濃く反映される構造になっています。
英国の他の自治体では1969年にビジネス票が廃止されましたが、シティでは逆に2002年の「シティ・オブ・ロンドン区選挙法(City of London Ward Elections Act 2002)」により、その適用範囲が大幅に拡大されました。
この制度下では、小規模企業は1名の投票者を指名できる一方で、中規模企業は複数名を比例配分で指名でき、HSBCやゴールドマン・サックスといった大規模金融機関に至っては、最大で79名(上限あり)もの投票者を指名することが可能です。
これは文字通りの「金権政治(plutocracy)」が制度化されていることを意味し、コモン・カウンシルの議員やアルダーマンは、実質的に「金融資本のための自治政府」あるいは「金融業界の労働組合」として機能しています。
これは「代表なくして課税なし」の原則を法人に適用した稀有な例です。
シティの権益を守るための最も強力かつ不可視な装置が、「シティ・リメンブランサー(City Remembrancer)」という役職です。1571年、エリザベス1世の治世に創設されたこの官職は、シティの儀典長であると同時に、英国議会(ウェストミンスター)に対する常駐ロビイストです。
リメンブランサーは、選挙で選ばれた議員ではないにもかかわらず、英国下院(House of Commons)の議場内、議長席(スピーカーズ・チェア)のすぐ後ろにある「アンダー・ギャラリー(under-gallery)」に専用の席を持つ特権を有しています(これは成文法ではなく慣習による特権です)。
彼はそこでシティの利益に影響を与える可能性のある全ての法案を監視し、ドラフト段階で修正を働きかけます。リメンブランサー室は法務官や弁護士を擁し、多くの英国法において「ただし、シティ・オブ・ロンドンを除く」という条項が存在するのは、この活動の成果であることが多いとされています。
具体的には、2025年に審議された「デジタル証券サンドボックス規制」や「ドローン対策法」においても修正に関与した形跡が見られ、2024年の「データ(利用とアクセス)法」でも自動化された意思決定プロセスの導入について調整に関与したとされます。
さらに、2002年の「シティ・オブ・ロンドン(区選挙)法」のように、独自の法律(Private Act)を議会に提出する権限も有しています。
また、2012年から2013年にかけての「金融サービス法案」の審議過程では、リメンブランサー室は上下両院の特別委員会に対して広範なブリーフィングを行い、新たな金融規制のアーキテクチャがシティの国際競争力を損なわないよう働きかけました。
金融取引税の導入議論に際しても強力な反対ロビーを展開し、2022年の対ロシア金融制裁に関する規制においても、特定の金融商品取引の禁止や融資・クレジット提供の制限範囲の拡大に関する条文調整に関与し、「ライセンス権限に関連する例外規定」の策定を通じて、金融機関が実務的に対応可能な猶予期間や「抜け穴」ではない「実務的な調整弁」を法案に組み込む役割を果たしました。
加えて、2025年の金融サービス・市場法に関連するコモディティデリバティブや排出権取引の規制緩和においても、FCAの認可を必要としない企業の範囲を拡大するルール作りに関与しています。
ロンドンの大部分はロンドン警視庁(Metropolitan Police)の管轄ですが、シティは独自の「シティ・オブ・ロンドン警察(City of London Police)」を持ちます。
最大の特徴は、英国内における「詐欺・経済犯罪のナショナル・リード・フォース(National Lead Force)」としての役割であり、全国的な詐欺通報センター「Action Fraud」の運営や、複雑な金融犯罪・サイバー犯罪の捜査を一手に引き受けています。これは金融センターとしてのシティの「信用(Integrity)」を守るための自衛機能です。
また、シティの行政的影響力を支えるもう一つの源泉は、その潤沢な資金力です。
「シティ・キャッシュ(City's Cash)」と呼ばれる独自の基金は、800年以上にわたって蓄積された不動産や投資収益から成り、公的資金ではないため政府の監査を受けません。
この基金の規模は30億ユーロ(約4500億円)以上と推定され、ロンドン市内外に膨大な不動産ポートフォリオを保有しており、シティの維持管理だけでなく、TheCityUKなどの業界団体への資金提供や、海外の規制当局者、政治家を招いたマンションハウスでの晩餐会などの「金融外交」に積極的に投じられています。
第3章 金融機能の起源と帝国の転換
「シティ=金融」という特質は、12世紀の十字軍時代にまで遡り、テンプル騎士団によるイノベーションから始まります。
1119年に設立されたテンプル騎士団(Knights Templar)は、僧侶でありながら戦士、そして「最初の国際銀行家」でした。彼らはロンドンの「テンプル(Temple)」地区にあった英国本部(現在のテンプル教会)を活用し、革命的な金融システムを構築しました。
具体的には、巡礼者が大量の現金を携帯するリスクを回避するため、ロンドンで資産を預かり、暗号化された「預かり証(Letter of Credit)」を発行しました。
巡礼者はエルサレム到着後にこれを提示し、等価の資金を引き出すことができましたが、これは現代のトラベラーズチェックや国際為替送金の原型であり、BBCのコラムニストは彼らを「十字軍のウエスタンユニオン」と評しています。
また、テンプル教会の地下金庫はロンドン塔以上に安全とされ、ジョン王やヘンリー3世は王冠や税収をここに預けていました。
騎士団は預かった資産を元手に王室や貴族へ大規模な融資を行いました。
キリスト教徒による金利徴収(ウスラ)は禁じられていましたが、彼らは「手数料」や「為替差益」、「遅延損害金」といった名目で実質的な利子を得るスキームや、土地収益を返済に充てるが元本返済にはカウントしない「モーゲージ(Mortgage:死せる担保)」の原型も開発しました。
また、国家を跨ぐ資金移動において教皇からの特権により世俗の王の規制を受けない「オフショア」的な地位を確立していました。
1312年にテンプル騎士団が解体されると、その資産と建物は最終的に法律家たちの手に渡り、現在の「インナー・テンプル」「ミドル・テンプル」という法曹院(Inns of Court)の起源となりました。主は騎士から弁護士へと変わりましたが、シティにおける「テンプル」の役割は「金融と契約の守護者」として継承され、弁護士たちはコモン・ロー(英米法)を用いて商業契約と財産権を守るようになりました。
その後、金融機能はイタリア出身の「ロンバード(Lombards)」商人が担い、17世紀には「金細工師(Goldsmiths)」が台頭しました。
金細工師たちは預かり証(Goldsmith's Note)を発行し、これが紙幣の起源となると同時に、預金量以上の貸付を行う「信用創造(Fractional Reserve Banking)」を開始しました。
1694年のイングランド銀行設立は、この機能を国家レベルで制度化したものです。
17世紀後半、シティの金融活動は路地裏の「コーヒー・ハウス」を中心に発展しました。
エドワード・ロイズの店では船舶情報が交換され、保険引受取引が常態化して「ロイズ・オブ・ロンドン」へと発展し、ジョナサンズ・コーヒー・ハウスでは株式取引が行われ、ロンドン証券取引所の原型が生まれました。
この時代に確立された「対面での信頼(My Word is My Bond)」という不文律は、現代のシティの取引倫理の基礎となっています。
20世紀半ば、大英帝国が植民地を失い領土的な帝国としての地位を喪失した際、シティは消滅するどころか、領土支配に基づく「第一の帝国」から、金融資本のフロー管理に基づく「第二の帝国」へとその機能を劇的に変容させました。
この転換において重要な役割を果たしたのが「ユーロダラー(Eurodollar)」市場の創設です。冷戦下の1950年代、ソ連とその衛星国や中国共産党政府は、輸出によって獲得した大量の米ドルを保有していましたが、このドルを米国内の銀行に預金すれば、米国政府によって資産凍結されるリスクがあることを恐れました。
そこで、ソ連系銀行(モスクワ・ナロードニー銀行など)は、ロンドンに所在する英国の銀行、特にミッドランド銀行や南米ロンドン銀行(BOLSA)にドルを預けることを選択しました。
通常であれば他国の通貨を扱う銀行業務は厳格な規制を受けるはずでしたが、当時のイングランド銀行(英国中央銀行)は歴史的な決断を下しました。
「ロンドン所在の銀行が、非居住者間で、ポンド以外の通貨(ドルなど)を貸借する限り、それは英国の国内金融規制(支払準備率や金利規制)の対象外とする」という「ウィンクと頷き(暗黙の了解)」を与えたのです。
これは後に「慈悲深き無視(Benign Neglect)」と呼ばれる政策へと発展し、ロンドン市場で行われる取引であっても、ポンド経済に直接影響を与えない限り規制当局は干渉しないという暗黙の了解となりました。
この決定により、シティ・オブ・ロンドンに地理的には英国の主権下にありながら、金融規制的には「どこの国でもない場所(オフショア)」としての空間が誕生しました。
米国内では「レギュレーションQ」によって預金金利に上限が設けられ、連邦準備制度による準備預金要件もありましたが、ロンドンにはその規制がないため、より高い金利を提供できました。結果として、米国の銀行までもが資金をロンドン支店に移動させ、ロンドンで運用するようになり、これがユーロダラー市場の爆発的成長の起源となりました。
この市場形成において重要な役割を果たしたのが、イングランド銀行の理事であり、後にBOLSAの会長となったジョージ・ボルトン卿です。
ボルトン卿らの主導により、シティの行政手続きは、伝統的な「銀行中心」のシステムから、より流動的で参加者の自由度が高い「市場中心」のシステムへと転換し、これが後のデリバティブ市場やシンジケートローン市場の発展を可能にしました。
イングランド銀行とシティは、国内経済向けの金融引き締めと、国際金融における自由放任を両立させる「二重構造」を作り上げました。
1986年の「ビッグバン」による規制緩和(固定手数料廃止、電子取引化など)は、シティの風景を一変させました。サッチャー政権下での改革により、固定手数料の撤廃、二重資格(デュアル・キャパシティ)の容認による投資銀行モデルの解禁、そして外国資本によるロンドン証券取引所(LSE)会員企業の買収許可が行われました。
これにより、メリルリンチやゴールドマン・サックスといった米国系投資銀行がシティに参入し、立会場(フロア)は廃止されスクリーン取引(SEAQ)へと移行しました。
多くの伝統的銀行が外資に買収されましたが、シティは「プレーヤーが外国人であっても、試合会場(市場)がロンドンであればよい」という「ウィンブルドン効果(Wimbledon Effect)」を受け入れました。
合わせて制定された「1986年金融サービス法」は、金融業務を行うためのライセンス取得要件として、「適格性(Fit and Proper)」、「行為規制(Conduct of Business)」、「自己資本の十分性(Capital Adequacy)」という概念を明確化しました。
また、米国の規則主義(Rules-Based)とは異なり、英国は「原則主義(Principles-based regulation)」を採用し、「顧客を公平に扱うこと」などの高次の原則を示し、達成手段については企業の裁量を認めるアプローチをとりました。
この柔軟性が、デリバティブや証券化商品といった複雑な金融商品の開発を促進し、ロンドンをイノベーションの中心地としました。
第4章 オフショア・ネットワークと資本抽出のメカニズム
ユーロダラー市場の成功は、シティの銀行家たちに「金融取引の法的所在地(ブッキング・ロケーション)を操作することで、規制と税を回避できる」という重要な教訓を与え、このロジックは大英帝国の残存領土へと拡張され、「オフショア・スパイダーウェブ(蜘蛛の巣状のネットワーク)」が形成されました。
このネットワークにおいて、シティは「中心」として高度な金融サービス、クリアリング、法的アドバイス、ファンドマネジメントを提供し、「内側の輪」である王室属領(ジャージー、ガーンジー、マン島)が欧州からの資金を集めるゲートウェイとして機能し、「外側の輪」である海外領土(ケイマン諸島、バミューダ、英領ヴァージン諸島など)が南北アメリカやアジアからの資金を集めるゲートウェイとして機能しています。
王室属領であるジャージー島とガーンジー島は、英国の一部ではなく英国王室の私的領地としての地位を持ち、英国議会の直接的な立法権が及ばず独自の税制を維持しています。
ジャージー・ファイナンス自身が認めるように、ジャージー島は「企業の財務担当者や機関投資家にとって、シティ・オブ・ロンドンの延長」として機能しています。
ジャージー島の主要商品は「信託(Trust)」であり、富裕層が資産をジャージー・トラストに移転することで、法的な所有権を切り離し、本国での課税や債権回収から資産を隔離します。ジャージー法は、信託設定者が資産に対する実質的な支配力を維持しながら、法的には所有していないと主張できる「留保権限付き信託(Trusts with reserved powers)」などの仕組みを導入しており、これは「シャム・トラスト(偽装信託)」との批判を受けながらも世界中の富裕層を引きつけています。
また、ロンドンの不動産開発において不可欠なのが「ジャージー不動産ユニット・トラスト(JPUT)」です。
ザ・シャードやバタシー発電所といったロンドンの象徴的な不動産プロジェクトの多くは、このJPUTを通じて保有されています。このメカニズムでは、不動産の所有権を英国法人ではなくジャージーのユニット・トラストに持たせ、投資家はユニット(信託受益権)を売買することで不動産取引を行います。これにより、かつては英国の印紙地税(SDLT)を回避することが可能であり、現在でもキャピタルゲイン税の透明性選挙など税務上の利点が残っています。
カリブ海に浮かぶ英国海外領土は、北米およびアジアの資本を取り込むための前哨基地です。
ケイマン諸島は世界のヘッジファンドの約半数が登記されている法域ですが、特に重要なのは特別目的事業体(SPV)を用いたストラクチャード・ファイナンスです。ロンドンの銀行が航空機リースやローン債権の証券化(CLO)を行う際、その器としてケイマンSPVが利用されます。
ケイマン法は「倒産隔離(Bankruptcy Remoteness)」の概念が強固であり、親会社が倒産してもSPV内の資産は守られる仕組みが整っているため、ロンドンで組成された金融商品は信用格付けを高め、グローバルな投資家に販売されます。
英領ヴァージン諸島(BVI)は世界最大の会社登記工場であり、ここでの主力商品は資産保有会社としてのインターナショナル・ビジネス・カンパニー(IBC)です。ロンドンの高級住宅街にある豪邸の多くはBVI法人が所有者として登記されており、真の所有者(ベネフィシャル・オーナー)の身元は厚いベールに包まれています。
シティがグローバル資本を管理・還流させるための具体的な技術的メカニズムの一つとして、最も巧妙かつ広範に利用されているのが「上場ユーロ債免除(Quoted Eurobond Exemption: QEE)」です。英国の所得税法(Income Tax Act 2007, s.874)では、英国企業が海外の貸し手に対して利子を支払う際、通常20%の源泉徴収税を徴収する義務がありますが、QEE規定によれば、その債券(ユーロ債)が「HMRC(英国歳入関税庁)が認めた証券取引所」に上場されていれば、源泉徴収税は免除されます。
ここで登場するのが、ガーンジー島に拠点を置く「国際証券取引所(The International Stock Exchange: TISE)」です。多国籍企業は親会社(タックスヘイブン所在)から高金利で融資を受ける際、融資契約を「債券」の形にし、形式的にTISEに上場させます。
これらの債券は実際に第三者が売買することは想定されておらず市場流動性はほぼ皆無ですが、TISEに上場しているという事実だけで英国のQEE要件を満たします。
これにより、英国企業は親会社への利払いを損金として計上し法人税を圧縮しつつ、利子にかかる20%の源泉税も回避できます。TISEの統計によると、2021年には新規上場数が過去最高水準に達し、2022年には956件、2023年には842件、そして2024年には952件の新規上場を記録し、上場証券の総額は7,560億ポンド(約140兆円)を超え、2025年にはプライベート・エクイティ関連の債務証券の上場が前年比25.8%増となるなど、その利用は急増しています。
HMRCは税収損失を過小評価していますが、一部の推計では年間数億ポンドから数十億ポンド規模に上ると見られています。
シティの効率的な資本移動システムは、合法的な節税だけでなく、非合法な資金洗浄(マネーロンダリング)にも適しており、「ロンドン・ランドロマット(資金洗浄機)」という不名誉な別名で呼ばれています。
2020年の「FinCENファイル」は、シティの主要銀行(HSBC、スタンダードチャータード銀行など)が、マネーロンダリングの疑いがある取引を認識しながらも数兆ドル規模で処理し続けていた実態を暴きました。
英国の銀行は「疑わしい取引の届出(SARs)」を当局に提出することで法的免責を得ることができるため、SARsは形式的な手続きと化し、膨大な報告書が国家犯罪対策庁(NCA)に殺到する一方で実際の資金移動は止められない状況が常態化しています。
また、2021年の「パンドラ文書」は、法律事務所や会計事務所などの専門家(Enablers)が、政治的要人(PEP)や犯罪組織のために複雑なオフショア構造を設計していたことを明らかにしました。
第5章 現代の競争力とシステム設計者としての覇権
2025年現在、ロンドンはニューヨーク・ウォール街と並ぶ「二強」として君臨しており、その競争力の源泉は物理的インフラではなく「英国法(English Law)」というソフトウェアにあります。国際金融契約の40%以上が英国法を準拠法としており、高い法的確実性を提供します。
特に重要なのが「ギブスの原則(Rule in Gibbs)」です。
これは、「契約が英国法に準拠している場合、外国の倒産手続きや裁判所の命令によって、その債務を消滅・変更させることはできない」という原則です。例えば、新興国企業が自国の裁判所で債務免除判決を得ても、ロンドンの裁判所はそれを認めず、債権者はロンドンにある資産を差し押さえることができます。
この強力な債権者保護(Creditor Friendly)の姿勢が、国際的な資金貸付を支えています。
このシステムを物理的に動かしているのが、シティのエリート法律事務所群「マジック・サークル(Slaughter and May, Freshfields, Linklaters, Clifford Chance, A&O Shearman)」であり、彼らはオフショア地域の法律事務所(Maples, Walkersなど)と連携し、国境を超えた資本移動を可能にする法的構造(SPV、トラスト)を提供しています。
また、イングランド銀行(BoE)は、シティの金融システムを支える「最後の貸し手」であると同時に、グローバルな金融規制の潮流を作り出すトレンドセッターです。BoEは新たなグローバル基準の策定へとシフトしており、LIBOR不正操作事件後には、実取引に基づく「SONIA(Sterling Overnight Index Average)」への移行を強力に推進しました。
BoEは2021年末という明確なデッドラインを設定し、ISDAと連携してフォールバック条項を一斉に変更させる大手術を指揮し、さらに米国のFRBと連携して「SOFR First」イニシアティブを主導するなど、グローバルな金利体系のスイッチを握り続けています。
また、財務省、BoE、そして大手金融機関の間では人材が頻繁に行き来する「回転ドア(Revolving Door)」が存在し、規制当局者が金融業界と同じ世界観やリスク評価モデルを共有する「認知的規制虜(Cognitive Regulatory Capture)」の状態が生じています。
ロイズ(Lloyd’s)は、世界の保険引受能力の集積地であり、新たなリスクを定義しプライシングする「リスクの研究所」です。ロイズでは80以上の「シンジケート」がリスクを引き受け、全シンジケートからの拠出金で造成される「セントラル・ファンド」が支払いを肩代わりする相互扶助的な安全網により、高い格付け(S&PのAA-など)を維持しています。ロイズ市場協会(LMA)が作成するモデル約款は事実上の世界標準として機能しており、例えば2022年8月にはマーケット・ブレティン「Y5381」を発出し、サイバー保険における国家支援によるサイバー攻撃の免責条項(LMA5564 - LMA5567)を策定しました。これにより、「何が戦争で、何が犯罪か」という定義を民間市場が先行して確定させました。
また、ESG戦略として石炭火力発電所などへの新規保険引受を停止する方針を打ち出すなど、産業政策に対しても影響力を行使しています。
LSEグループ傘下のFTSEラッセルは、インデックスへの「採用(Inclusion)」や「分類(Classification)」を通じて国家単位の資金フローを左右しています。
FTSEラッセルは各国の市場を「フロンティア」「新興国」「先進国」に分類しており、格上げされれば数兆ドル規模のパッシブ資金が流入しますが、その条件として資本規制の撤廃や英語での情報開示などの「市場の質」を要求します。
中国やベトナムの当局がFTSEの基準に合わせて法改正を行うなど、これはシティが他国の金融主権に介入するソフトパワーとなっています。LSEグループ傘下のLCH(旧London Clearing House)は、デリバティブ取引の中央清算機関(CCP)として世界金融システムの心臓部であり、その「SwapClear」部門は世界の金利スワップ清算の90%以上を占めています。その支配の秘密は「コンプレッション(圧縮)」によるネットワーク効果にあり、参加者は取引を集中させることでポジションを相殺し、担保コストを劇的に削減できるため、LCHへの「ロックイン効果」が生じています。
ブレグジット交渉においてEUはユーロ建て清算業務の移転を試みましたが、LCHへのアクセス遮断がEU側の銀行に莫大なコスト増をもたらすため妥協を余儀なくされました。また、LCHは独自の「ルールブック」に基づき運営され、ロシア制裁などにおいては担保適格性の剥奪を通じて制裁を実効化する執行機関としての側面も持っています。
シティの真の影響力は、その行政モデルがパッケージ商品として世界中に輸出されている点にもあります。
2004年に設立されたドバイ国際金融センター(DIFC)およびアブダビ・グローバル・マーケット(ADGM)は、シティの影響力が最も色濃く反映された事例であり、「コモン・ローの飛び地」として設計されました。DIFC裁判所やADGM裁判所には、元英国高等法院判事のサー・ジェレミー・クックやサー・デビッド・スティール、スコットランド最高法院判事のロード・アンガス・グレニーといったシティの判事が多数任命されています。
また、規制当局であるDFSAの初代CEOを元英国FSAのフィリップ・ソープが務めるなど、人的ネットワークを通じてもシティのモデルが移植されています。アジアの金融ハブであるシンガポールも、英国の「上級管理者・認証制度(SMCR)」の影響を受けており、シンガポール通貨金融庁(MAS)はこれに対応して「個人の説明責任と行動に関するガイドライン(IAC)」を導入しました。
英国が「責任の義務」とプロセスを重視するのに対し、シンガポールは「成果」と文化を重視するという差異はありますが、その根底にある哲学はシティ由来のものです。
さらに、2015年に英国FCAが世界で初めて導入した「規制サンドボックス」は、革新的な技術を持つ企業に一時的な規制緩和を認めて実証実験を行う制度ですが、これは瞬く間にADGMのRegLabやシンガポールのFinTech Regulatory Sandboxとして世界中に輸出されました。
また、ライセンス取得のタイムライン競争においても、リトアニアなどが「英国と同じ法体系だが、より速い(3〜6ヶ月)」ことをセールスポイントにするなど、シティのモデルがコモディティ化しています。
第6章 ブレグジット後の戦略と未来への適応
2016年のブレグジット決定以降、シティは存亡の危機に直面したかに見えましたが、「テムズ川のシンガポール(Singapore-on-Thames)」構想を掲げ、規制緩和と競争力強化を旗印にした攻めの姿勢を見せています。
シティはEUの規制から外れたことを好機と捉え、2023年から保守党政権下で「エディンバラ改革(Edinburgh Reforms)」を進めました。これに続き、2024年に成立した労働党のスターマー政権下のレイチェル・リーブス財務大臣は、2025年7月15日に「リーズ改革(Leeds Reforms)」を発表し、金融セクターを成長エンジンと位置づけました。
この流れの中で成立した「金融サービス・市場法2023(Financial Services and Markets Act 2023)」は、規制当局(FCAおよびPRA)に対し、従来の金融安定性や消費者保護に加え、「国際的競争力(Competitiveness)」と「成長(Growth)」を二次的な目的として考慮することを法的に義務付けました。
これにより、シティのロビイストは「その規制は競争力を阻害する」という理由で異議を唱える法的根拠を手に入れました。また、エディンバラ改革の一環として、上場ルールの緩和(目論見書要件の緩和や議決権種類株の容認)が行われ、2025年にはIPO件数が回復基調にあり、11件の新規上場と19億ポンドの調達を記録しています。ソルベンシーIIの改革により、保険会社の資本要件も緩和され、インフラやグリーン投資への資金供給が促進されました。
シティは脱炭素資金(Green Finance)のハブ化も進めており、グローバル・グリーン・ファイナンス・インデックス(GGFI)で世界1位(2023/24年)を獲得しました。
また、「マンション・ハウス・コンパクト」により、年金基金が未公開株や成長企業への投資比率を2030年までに5%引き上げることに合意しており、2025年10月時点で16億ポンドが投資されています。
さらに、2023年金融サービス・市場法に基づき、「デジタル証券サンドボックス(DSS)」を設立し、ブロックチェーン技術を用いた証券取引の実証実験を、既存規制の一部を免除した状態で行っています。これはかつてユーロダラー市場を作り出したときと同様、規制の隙間に「実験区」を作るシティの伝統的手法です。暗号資産領域においても、ドバイが設立した規制機関「VARA」のマーケティング規制が英国の「金融プロモーション規制」の影響を受けているほか、英国自身もバーゼルIIIのトレーディング勘定への適用における柔軟な解釈の検討など、新たな領域でのルールメイキングを主導しようとしています。
ロンドンはグリニッジ標準時(GMT)に位置し、アジア市場の引け際(08:00-10:00)から米国市場の寄り付き(13:30-16:30)までをカバーできる「世界の取引日(Global Trading Day)」の中心です。
これにより、外国為替(FX)市場において圧倒的なシェア(2025年時点で約37.8%、1日あたり4兆7,450億ドル)を誇ります。また、金融の共通語である英語と、多様な人材が集まる環境がイノベーションを促進しています。
シティ・オブ・ロンドンは、ローマ時代の城壁に守られた古代の特権、中世テンプル騎士団による金融と法の融合、そして近世以降の商人たちによるプラグマティズムが地層のように積み重なった場所です。
王権や議会、そして現代においてはEUからも独立性を保とうとするその姿勢は、一見時代錯誤に見えますが、それこそが「規制の裁定(Regulatory Arbitrage)」を可能にし、資本を引き寄せる磁力の源泉となっています。
リメンブランサーが議会で目を光らせ、ロード・メイヤーが世界を飛び回り、デジタル証券サンドボックスで新たな実験が行われている限り、このスクエア・マイルは、国家という枠組みを超えた「商人の共和国」として生き延び続けることでしょう。
シティ・オブ・ロンドンは、単なる歴史の遺物ではなく、現代のグローバル資本主義において最も高度に洗練された、資本抽出と資産防衛のシステムです。
その強さは、コーポレーションの特権による政治的防御、オフショア・ネットワークによる地理的拡大、英国法とインフラによる機能的支配、そして時代の変化に合わせて自らのOS(オペレーティングシステム)を書き換える柔軟な適応力(Resilience)にあります。
2025年のリーズ改革に見られるように、英国国家そのものが経済成長の頼みの綱としてこのシティのモデルに全面的に依存しており、帝国の版図は地図上から消滅しましたが、資本のフローを支配する不可視の帝国として、シティは今なお世界の富の中心に君臨し続けている世界金融を支配する舞台装置といえます。
あとがき:書面を超え、歴史の「OS」を実装する誇り
本書を通じて概観してきたシティ・オブ・ロンドンの1000年に及ぶ軌跡は、一見すると遠い異国の歴史物語のように思えるかもしれません。しかし、私たち金融法務に携わる実務家が日々向き合っている金融商品取引法、資金決済法、あるいは信託業法といった法域の深層には、間違いなく本書で述べた「シティの遺伝子」が息づいています。
金融専門の行政書士として、私が日々行っている業務は、単に申請書類を作成し、当局に提出することではありません。その真髄は、クライアントのビジネスモデルが、グローバル標準である「Fit and Proper(適格性)」や「Principles-based(原則主義)」という、シティが長年かけて磨き上げてきた「規制のOS」に適合しているかを検証し、言語化することにあります。
信頼という名の「見えない資本」
シティの格言「My Word is My Bond(私の言葉は私の絆)」が示す通り、金融の根幹はいつの時代も「信頼」という極めてアナログな概念に集約されます。現代のデジタル資産やAIを用いた金融イノベーションであっても、そのライセンス(免許・登録)の重みは、かつてのギルドが会員に求めた厳格な倫理規定と何ら変わりません。
行政書士は、いわばその「信頼」を、法的な「適格性」へと翻訳する役割を担っています。本書で解き明かしたシティの「不可視の帝国」の正体が、実は物理的な権力ではなく、強固な「法理」と「慣習」の積み重ねであったことは、我々実務家にとって大きな指針となります。
未来の「規制サンドボックス」へ
現在、日本でも進められている金融のデジタル化や規制緩和の動きは、まさにシティが先導してきた「実験的プラグマティズム」の現代版です。私たちは今、かつてのユーロダラー市場が誕生したときのような、既存の枠組みが書き換わる歴史的転換点に立ち会っています。
本書が、読者の皆様にとって、単なる知識の蓄積にとどまらず、目の前の金融規制やライセンス制度の背後にある「巨大な意思」を感じ取り、次世代の金融ビジネスを構想するための羅針盤となれば幸いです。
「帝国」の版図は変われど、その根底にある「法と信頼の力」は不変です。私自身も、金融専門行政書士として、この誇り高き「規制のOS」を守り、また発展させる一助となるべく、日々研鑽を積んでまいる所存です。